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事務手続き、遂に完結! [通院期]

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揃えた書類を持って、いざ役所へと来た私!旦那は仕事もあり、何度も役所には来れないので私だけが行くことになりました。

もらっていた必要事項を埋めた書類と源泉徴収票などを持って再び担当者さんと面会。
内容を確認していただいて、大体は問題なさそうでした。

そしてさらに”同意書”なるものの記入を促され、その場で記入しました。

どうやらこれを一緒に書いて申請しておくと、通常、保護者が負担した分は後ほど”子ども医療費”で返還されるのですが(私たちの住んでいる市は子供の医療費は無料です)、その手続きを省いて直接病院に市のほうから支払ってくれる私たちにとってありがたい手続きでした。

こうして無事に手続きは終わり、晴れて私たちは病院に支払うお金は”おむつ代”と”ミルク代”のみということになりました!
ミルク代は母乳でまかなえていたので当初はおむつ代だけかかっていましたが、おむつが1日500円の計算で2万弱は毎月かかっていました。

数百万の医療費が2万になるなんて…ほんとありがたいことでございます。

ちなみに前々回にお話ししていた、産院は住んでいる街で!という話について最後にお話ししたいと思います。
私たちの住んでいた市は子供の医療費は無料なので、子供が診察を受けた際にはその認定証を提出するだけでお金を払わずに済むのですが、それは市内の病院でのお話し。

市外の病院になってしまうと、親がいったん診察代をたて替えなければならないのです。

娘が入院していたのは東京の病院なので、市どころか県をまたいでしまっており、もちろん認定証は使えませんでした。
未熟児は退院した後も小学生にあがるまで、入院した病院で定期的に診察を受けなければなりません。なので、診察を受けるたびに一回料金を立て替えて、毎度書類を送って市に振り込んでもらうよう申請をしなければならないのです。

結果的にはお金はかかっていないのですが、手続きを都度し続けなければならないのは結構面倒くさいですよね。
…という理由で、住んでいる街での出産を勧めたのでした!

これも健康に産まれたお子さんならあまり関係ないことなんですが、何があるのか分からないのが出産ですので…一応書いてみました!

以上で事務手続き的なお話は終わりです!
ちょっと細かいことは忘れてしまったので、微妙に違うところがあるかもしれませんがご容赦ください^^;

次回からはNICUでの入院生活についてお話していきたいと思います!
それでは!

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高額医療費を負担していただけるまでの長い道のり… [通院期]

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私は産院から退院した直後に出生届を提出し、一通りの手続きを終えたあと、遂に本題の未熟児の医療費負担の手続きをしに、指定された役所の窓口に向かいました。

ちなみに、出生届、子供手当、今回の手続き、全て違う窓口です!笑 こんなに色んな場所にいくなんて~泣 子供が産まれるって大変だなあ…

当時、私たちはまだ車を持っていなかったので駅を降りた後にバスに乗り換えてさらに歩く…車社会の町ではやはり車がないと生きにくいものです。

そして担当者の方に別室でお話を聞いてもらえることになりました。

「これで医療費の心配はもう大丈夫!」と、当時はのんきに考えながら別室で担当者が来るのを待っていました。

ところがよくよく話を聞いてみると、その医療費負担の申請の際に負担額の算定をする必要があるとのことで、世帯の”課税証明書”、”源泉徴収票”、”確定申告票の控え”、”生保受給証明書”それぞれの原本を用意する必要があるというのです。それも原則、娘が生まれてから2週間以内!

なんということでしょう。。もう生まれた日から数えたら一週間経っております…こんなにタイトなのか…!

こんなに早く産まれたこと自体非常事態で、出産した後は目の前の出来事をただこなしてきたような状態だったので、この手続きを早くしなくちゃ!なんてそんなところまで気が回るわけがありませんでした。こんなこと未経験ですし…かなり焦りました。

私が大変というより、旦那のほうが大変だったと思います。だってほとんどの書類は旦那が会社から取り寄せないといけないものですから。普段から行動の早い旦那なので、さっそく手配を進めていましたが、やはり到着までは数日かかるとのことでした。

大丈夫だろうか…間に合うだろうか…なんてやきもきしながら数日が過ぎたころ、旦那から日中に電話がありました。

退院した次の日から毎日病院に通っていた私は、着信に気づいてロビーでかけ直しました。

「まだ必要な手続きが残っていることが分かった。」

…え、まだあるんすか…まじで…もうむりっす…わからーーーん笑

どうやらちょっと複雑な話になるのですが、高額の医療費のうち市が負担してくれるのは、保護者が負担する金額の中の世帯の収入に応じた額だけで、じつはほとんどは旦那の社会保険の組合が負担するということらしいのです。

そのため、組合の負担する額がかなり大きくなるのですが、その申請を別途組合にして、”限度額認定証”という高額医療費負担してもいいよーっていう認定証を入手して病院に提出しないといけないそうなのです。

あーーーーーーーーーーーーーーーーめんどくさいーーーーーー
全部一か所で負担してほしいーーーーーー!

しかし、こんな数百万の金額を負担していただけるだけありがたいことです。ここは黙って手続きを頑張るしかありません。

ちなみに、この認定証期限が記載されており、期限内に退院ができないときは新しく認定証をもらいなおさないといけませんでした。なかなか重要な書類なうえ、結構な手間がかかるものでした。。源泉徴収票などと並行してこちらの手続きもするという苦行を強いられたのです。。

そんなこんなで、退院して早速ドタバタな日々が続き、ついに必要な書類を揃え、後日再び役所へと馳せ参じたのです!

つづく

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人が一人生まれるって大変なことなんですね [通院期]

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娘の容態も一山超えて、安心したのもつかの間、実は別の面でも未熟児というのは大変だと思い知らされたことがありました。

私の体調はかなり調子が良く、心配されていた子宮内の胎盤も3日目にはほとんど出ていて残っていない状態だという事が内視鏡で診察されて判明しました。
子宮内にまだ残っていようものなら、危うくまたあの激痛の処置(掻き出される)よりキツイものが待っていたことでしょう。。

というわけで、抗生物質の点滴も終わり、血液検査の結果も問題なかった私はなんとその次の日には退院していました。産後の入院期間は4日間という短さで終わりました。

幸い、連休最終日に退院となったので旦那も迎えに来れたのが幸いです。

しかし、私たちには家に帰ってゆっくりしている場合ではありませんでした。次の日から怒涛の書類手続き・申請の嵐が待っているのです・・・

実は未熟児がお世話になるNICUは高度医療ということで、普通に何もせずに過ごしているととんでもない医療費になってしまうのです。
それこそ月に数百万の請求がやってきます笑 ほんとそうなったら笑うしかない額です。

そのため、市や然るべき機関に申請をして高額医療費を負担してもらうことが必要なのですが、とにもかくにも”出生届”を出さなければ始まりません。だってまだ娘はこの国の人間として登録していないわけですから。

普通ならやっと産まれたかわいい我が子。生まれてきた顔をじっくりと見て、似合う素敵な名前をつけてあげたいですよね。
しかし、ひゃくちゃんに関してはそんな悠長なことは言ってられません。

その高額医療費負担の手続きは生後2週間以内に済ませないといけないのです。ゆっくりと2週間名前を考えていたらアウトです。。

と、いうわけで退院した次の日に役所に赴き、なんとなく「こんな名前がいいんじゃないかな~」なんて生まれる直前のころにふんわりと考えていた名前で出生届を出したのでした。

いえでも、つけた名前は気に入っていますよ!こういうのは大体第一印象で決めるのが一番いいはずなんですから!それにしても、ホント思い描いたママライフとは程遠いものでした。

「娘を抱っこしながら、旦那と笑顔で書類提出するのかもな~うふふ」
なんて、夢見がちなことを考えていた生む前の自分が悲しいです。実際はボロボロの体のまま、不安いっぱいの表情で出生届を提出するのですから。。本当、残念です。

しかし、落ち込んでいる暇なんてありませんでした。
出生届が受理されたら今度は、出産育児一時金、児童手当、市の子ども医療費の申請…
もう自分がいま何の手続きをしているのかわからなくなってましたね笑

でもここまではどのお子さんもされる手続きです。
こういった事務的な手続きが苦手な私はもうここで結構グロッキーでした。ははっ!
そしてここからが、手続き地獄の本番でした…

と、これから長くなってしまうので、この続きは次回お話しします。
予告として一言言うのであれば、”子供は住んでいる街の病院で産みなされ!”ということを強くお勧めする内容です。
それでは!
(※手続き関係は当時を思い出して書いているので、内容がふんわりしている可能性が高いです。。詳しい方が読んで「あれ?」と思うことがあればご指摘ください!)

つづく

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心臓に悪い告知方法。 [入院期]

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担当医に呼び出され、おびえながら小さな個室へと入っていくと、先生はさっそく娘について話を始めました。
「今のところは、心拍・呼吸も比較的安定しており、お話していた3日も過ぎました。おそらく死亡する可能性はほぼ無くなったと思われます。」

この言葉に思わずほっとする夫婦。
しかし、その直後先生は手元のモニターに、ある一枚のCTの画像を表示させました。

「これは娘さんがこちらに搬送された直後に撮影した脳のCTの画像です。」

ちょうど上から見た状態の脳の画像。右脳と左脳がそれぞれ左右にあり、断面が見えています。
と、左の中央寄りに少し黒い塊というか影のようなものが見えます。

「ここに黒い影のようなものが見えるかと思いますが、これは脳出血している部分です。通常、この量の出血がありますと、脳の機能のどこかに影響を及ぼす可能性があります。」

そのセリフを聞いた時のことを今でも忘れません。
まるで他人事のように、遠くで聞いているような感覚…遠くでガーンガーンと何かが鳴っているような…この話を他人のことにしてしまいたいという感情の表れなのか、気が遠くなりました。

今まで生きてきてこんなにも聞きたくない話があったでしょうか。
もう恐ろしくて、この先を聞きたくないのです。この話の続きがどれだけの最悪なものかを想像するだけで、もう居ても立っても居られませんでした。

本当にこんなことってあるんだな…まさか自分の子供がこんなことになるなんて…

一瞬の間に本当にいろんなことを考えていました。数秒の出来事なはずなのですがとても長く感じました。

ですが、この先の話を親として聞かなければなりません。逃げてなんていられないのです。
どんな結果になったとしても、受け入れて育てていかなければならないのです。

すると、先生はもう一枚の画像を表示させました。

「これが、今日撮影したCTの画像です。」

え…なんか変わったの?素人目にはパッと見、よくわかりませんでした。

「数日前にあった脳出血していた部分なのですが、出血が吸収されてほとんど無くなってるんです。…こんなことあまり無いんですけどね。」

え?ということは…?

「結果として、現在は特に問題のあるレベルの出血ではないのでご安心ください。」



……
なんだよおーーーー!!!すげーーーーびっくりしたじゃないかーーー!!

なんだよ!さっきの心臓のどきどきとか変な汗とかなんだったんだ!!
つーか結論から先言って!そういうときは!!

ほんと人生でこんなに安堵した経験も他にあったでしょうか…
滑り止めなしの一発勝負で臨んだ高校受験で合格した時くらいでしょうか…。(それよりはるかに安堵してます)

とにもかくにも、まずは最初の問題を無事乗り越えた我が娘。
脳出血まで自分で何とかするなんて…恐ろしい子…

結果として、他に目立った大きな問題はなかったので、通常の超低体重児としてNICUにお世話になることになりました。

ここからまた長いのですが、次回はちょっと視点を変えて、”未熟児ってこんなことも大変だった話”をしたいと思います。

つづく


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担当看護師さんとのご対面、そして先生…! [入院期]

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しくしくと私が泣いていると、看護師さんが私たち夫婦に声をかけてくれました。

号泣していた私にちょっとびっくりしていましたが、気にせず話を続けてくれました。
この部屋では母親が泣いているなんて、驚くことではないのかもしれません。

気を遣って、照射していたライトを止めて目隠しを一瞬外して下さいました。
…可愛い…こんなに小さくてガリガリなのにとてもいとおしいのです。本当に不思議な感情です。

保育器の下部には、現在の保育器内の温度と湿度と赤ちゃんの体重が表示されていました。
と、なんと800グラム台の体重になっていました。

な、なにい?!960グラムくらいで生まれたはずなのに、痩せてる…これはやばいんではないか…?!
が、「生まれた直後は水分が無くなるので、一回体重が減るんですよ!」看護師さんがすぐにフォローを入れてくださいました。
なんだ~そうなのか~ちょっと一安心。

ちなみにこちらの病院では一人の赤ちゃんに対して2つのタイプの担当看護師がつきます。
ひとつは持ち回りでその日一日その赤ちゃんをお世話する看護師さん。常に2人体制で、非常事態になってもどちらかが対応してくださいます。

もうひとつは入院から退院まで同じ一人の看護師さんが一人の赤ちゃんとその両親のサポートをしてくれます。
その方とは、ノートで両親は日々やりとりができ、親が来れない時間に起こったことや連絡しておきたいことを書いてくださり、親も赤ちゃんに対しての不安や疑問をこのノートで交換日記のように報告しあうのです。

この体制は本当に素晴らしいなと思いました。
ちなみに、この日後者の退院まで対応してくださる看護師さんが勤務中だったので挨拶ができました。「私はスパルタなのでよろしくお願いします!」と言われ、怒られるのが苦手な私ははじめビビりまくりました笑

でも、スパルタは愛のムチなんですね。そしてスパルタとは私にではなく、娘にでした笑(良い意味でですよ!)その看護師さんとは退院した今でも交流があり、今ではお宅に遊びにいくほどの素敵な仲になりました。

そんなこんなで涙のご対面も終わり、可愛い娘の姿を観察していると、担当医が私たちに話しかけてきてくださいました。

そして、「ちょっとご両親にお話ししておきたいことがあるので別室へよろしいでしょうか?」
一気に気持ちが張り詰めました…
「は、はい…」
重い足取りで、先生の後を付いていきました…

つづく

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再会した娘の姿は… [入院期]

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GCUの部屋を通り抜けてその奥にNICUがありました。
本当にたくさんの保育器が部屋の周りを取り囲むように設置されており、看護師さんたちが忙しく動き回っていました。

その中で、奥の方にあるひとつの保育器…ありました!娘との3日ぶりの再会です。

が、顔が見えない!!目元をガーゼで目隠しされていました。そして青い光?紫外線?のようなライトをガンガン浴びている…日サロ??なにこれ?

これは、”新生児黄疸”という症状の対策としてライトを照射するのだそうです。後で調べたのですが、胎児の頃は成人より酸素を取り込む効率が悪いため、赤血球が大人の倍くらい多くあるそうです。そのため体が赤く、赤ちゃんと呼ばれている所以もそこからだそう。

それが産まれたあと、その余分な赤血球が脾臓で破壊され、赤血球の赤い色素・ヘモグロビンが黄色い色素・ビリルビンになり、皮膚が黄色く見えるため”黄疸”といわれるんだそうです。
これが重症化すると脳障害の後遺症などを起こす場合があるため、早急な治療が必要とのことでした。

で、黄疸に効果的な治療法のひとつに”光線療法(こうせんりょうほう)”があり、産まれた赤ちゃんは初めの数日間は人工的に紫外線にあてて治療しているというわけです。

感動の対面は、顔が見えなかったのですが、そこにいるという事実だけで十分でした。
私は嬉しさもありましたが、「こんな目にあわせてしまった」という悲しさで涙を止めることが出来なくなってしまい、ボロボロと泣きながらいつまでも見つめていました…。

つづく

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いざNICUへ! [入院期]

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入院3日目で遂に外出許可がおりて、娘に会いに行けることになった私。
早速旦那に連絡しました。
幸いその日は日曜日だったので、旦那が付き添って病院に行くことになりました。

しかし、外出の条件は絶対に車で出かけること。
当時私たちは車を持っていなかったので、タクシーを呼んで向かうことになりました。

産院から娘の病院までは車で約30分。
その病院は都内の大学付属の大きな病院でしたが、私は訪れたことはありませんでした。
一体どんなところで、どんな風に過ごしているのかな…
車中で不安に思っていました。

実は、娘が搬送されて旦那が入院手続きをした際に担当医に
「これから3日間が山でしょう。」
とドラマさながらのセリフを言われたそうです。

これはでも冗談ではなく本当の話で、この3日間でどんどんと心拍と呼吸が落ちていってしまう子は、そのまま延命措置を続けても長く生き続けることができず、亡くなってしまうそうです。

逆に言うと、生後3日間何とか心拍、呼吸がもちこたえることが出来ればどんな形であれ、ほぼ99%生存可能だということでした。
ここはもう、赤ちゃん自身の生きようとする力に頼るしかないのです。

この話は出産翌日、私に話してくれましたが、それを聞いた時は心のどこかであの子は大丈夫だと感じていました。

だって、最初にちゃんと泣いたし、足でバイバーイまでやってのけた娘です。産まれて初めてのこの試練は乗り越えられるはずと信じていました。
とはいえ、心配性&マイナス思考のクセがある私は悪いことばかり考えてしまい、不安いっぱいで病院に到着しました。

そんなこんなで辿り着きました、新生児集中治療室・通称NICU。
ここからは、既に何度もお見舞いに来ている旦那の案内のもと進みます。

さすがと言いますか、何重のもセキュリティに守られた厳重さに驚きました。
まずは小児病棟入口でNICU宛のインターフォンを鳴らし、名乗るとドアが開きます。
さらに、この病院はNICUと もう少し程度の軽い子が入っているGCUが隣り合っており、そこの共通の入口にもインターフォンがありました。

そのドアを抜けると、ずらっとロッカーが目の前に。
NICUには私物の持ち込みは厳禁。どうしてもの場合は指定のビニール袋に入れて持ち込みます。今回はカメラ以外と持ってきた母乳以外はロッカーにしまいました。

そして手の消毒です。手をかざすと水が出てくるようになってるセンサー式の水道で、直接触れなくても水を止められるようになってました。緑の液体石鹸でキレイに洗ったら、使い捨ての紙でふきふき。最後にアルコールを擦り込んで、マスクを装着して完了です。

病院に入ってから娘のいる所まで辿り着くのに、10分以上かかりました。。さすがNICU。これだけ大事にされてるんだなーと安心しました。

そしてついに入室&娘とご対面!感動の再会の様子はいかに…?!

つづく

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産院での入院生活について [入院期]

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ひゃくちゃんを出産した翌日にはもう母乳が出始めた私。
ここから私の母としての入院生活が始まりました。
体はものすごいスピードで母へと変態を遂げていました。出ると分かるとすぐさま看護師さんが哺乳瓶の瓶の部分だけを持ってきてくれました。

「まずは手で絞って頑張って搾乳してみて!はじめから搾乳機を使うとうまくいかないから~」

まずは1時間おきくらいにしぼっていきました。2日目にしてすでに乳が張り出してきて、しぼるのにも慣れていないため、痛いしあんまり出ないし…と思っていたら、回を重ねるごとに量が増えていきました。

始めは頑張っても10mlくらいしかしぼれなかったものが、だんだんと30mlくらいにみるみると増えていき、だんだん搾乳が楽しくなってきました。

搾った母乳は”母乳バッグ”なる小さなビニール袋に入れて冷蔵保存していくようにと言われました。
病院の売店で母乳バッグが売っていたので購入して、母乳を詰め替えたら袋に名前と日付を書いて授乳室にある冷蔵庫に持っていきます。

母乳は生ものなので、搾ったらすぐに冷蔵庫へ!入院中の私は数時間おきに病室と授乳室を往復する生活でした。

この産院ではトラブルが発生したお産のケースは珍しかったようで、赤ちゃんと離れて過ごしているのは私だけでした。
授乳室には新生児相手におっぱいを吸わせようと奮闘する新米ママがたくさん。

お産で体力も無くなり、ボロボロの体なのに夜中も数時間おきに起きて赤ちゃんの体重を測っておっぱいをあげてまた体重を測って寝かせる…(授乳の前後に体重を測ることでいくら飲んだか測るためです。)
想像するだけで大変すぎます…

私も搾乳のペースは同じですが、小さいまま自然分娩で産まれたので私自身の体の負担は普通のお母さんたちに比べるとはるかに少なかったと思います。
普通に廊下をすたすた歩けましたし、赤ん坊を抱いて移動する必要もありませんでしたので。

ですが、他のお母さんの方がずっと大変なはずなのに、私には皆さんがとっても幸せそうに見えました。だって一番会いたかったその赤ちゃんがちゃんと腕の中にいるんですから。

おっぱいを搾って、授乳室へ持っていくときにたくさんの親子が仲睦まじく授乳の練習をしている風景を見るのが当時はとても辛かったのを覚えています。

なんというか…カップルだらけの旅行先に自分だけ遠距離恋愛のため一人で旅をしに来ている…そんなような寂しさで胸がいっぱいになっていました。

でも今思えば、もっと悲しい結果になってしまったお母さんもたくさんいるはずです。こんなことでメソメソしててはいけないと思うのですが、当時は色々と物事が急変しすぎて気が滅入って弱っていました…すみません。

一方でおっぱいの方は順調で、搾乳量はどんどん増えていきました。
その日の夜には搾乳機を借りてガンガン搾りまくっていました。搾乳機には目盛りが付いているので、これだけ搾れた!というのが目に見えて分かるのが楽しかったです。
こういう貯めたり、収集したりとか好きなんですよね~

私の産院での生活はこんな感じで過ぎていきました。
そして3日目に先生から数時間ならということで外出許可を頂けたのです。

遂に娘との再会が叶うことになりました…!

つづく


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